地元ピープルの目線で通説に挑む不要に長い文集




おくのほそ道 松島から石巻への道 平成30年4月アップロード

石巻という地名について


『日本書紀の仁徳55年(西暦367年)、叛いた蝦夷を討ちに来た田道将軍が伊寺水門(伊峙水門)で破られた…という記載の、いしみなと(いしのみなと)が石巻の地名の由来です。当時、水門は「みと」もしくは「みのと」と読み、船をつけ荷物を揚げ降ろしができる場所として洋上から見える地形の目印でした。また、伊寺(伊峙)「いし」は石(岩)で、大門崎周辺の岩石の事です。古代、洋上から見ると、土を被る前の大門崎の岩石が青々と光り、北上川(日高見川)に入ってきた船は、現在の湊小付近や門脇の山形屋近辺に係留しました。
後に全国的に牧場を作れと言う発令があり、一時期、石巻小学校周辺(?)を中心に設置された牧場は「いしみなとのまき」と呼ばれました。いつか牧場は他所に集約され、跡地が地域最大の集落「石巻・いしのまき」として発展しました。

千年も過ぎると陸路が整備され、石巻は牡鹿湊と表記されるようになりました。
湊という文字は川道や陸路があつまる・合流するという意味ですが、いつか洋上からの視点である水門・ミナトという発音と重なりました。
そして戦国時代が収まり、徳川の天下に落ち着き、イクサをしなくても良くなったと思った、ある日、藩主伊達政宗公の石巻地区担当家臣の佐久間氏が「風土記を編纂するから地名の由来を調べておけ…」と言ってきました。どうやらこの時、日本書紀など知る由も無く、かつ全国に○○のマキがやたらに存在する事も知らない石巻村の肝入が苦労の末、地域の古老達と作り上げたのが住吉の巻石説と思われ、現在も主説となっている。 
 残念!!

石巻地名考 1石巻地名考 2石巻地名考 3石巻地名考 4石巻地名考 5
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慶長遣欧使節サンファンバウティスタ号

慶長遣欧使節サンファンバウティスタ号の建造地について

伊寺水門観音菩薩(いしみなとかんのん)

7,三角縁海獣葡萄嬌について

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