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南部曲がり屋など農耕で人間の生産活動に役立つ牛馬はついこの間まで人間と同居状態でした。一方、牧場・マキバ・ボクジョウという家畜などを多数飼う場所は、かなり昔から高原や人里離れた場所にあったというイメージがあります。理由について私なりに頭をしぼりましたが、多分ウンチの問題だろうと結論しました。現在でさえ養鶏場、養豚場の最大の課題は糞尿処理である様です。飼う牛馬の数が多ければ多いほど糞尿の量は増えるので、雨などで自分達の利用している水に影響を与えない地形、あるいは工夫が必要だったのではないかと思います。衛生上の問題を古代の人も解っていたのでしょう。また、モンゴルあたりのことわざに「馬は3日で野生に戻る。」とあるように馬は日々調教を保つ必要はあったと思いますが、暖かい時期はある程度放牧した方が楽です。 などと、また素人の浅推理を書いていると専門の方々に笑われます。一体、何を言いたいのかというと マンガ館3Fのカフェ・ブルーゾーンで仮面ライダーブラックコーヒーに砂糖とミルクを入れ、かき混ぜながら窓際のカウンターテーブルから外を眺めてください。左手・日和山の北斜面から右手・羽黒山の東斜面まで「生ウニぶっかけ飯」でおなじみの友福丸を中心として、さながらローマの闘技場を四切りしたように扇状に、そして緩やかな階段状に石巻の高級住宅街が拡がっています。私の想像では、ここは間違いなく、 昔の一時期・・・ 「牧場」=「牧・まき」だった。 その名も・・・ 『「伊寺水門(イスミナト)」の牧』 イスミナトノマキであった。 ・・・・のではないだろうか・・・・・ |
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